コラム 「主観と客観」

83歳になる今の私には、物心ついてから70数年にわたる経験がある。

上司・先輩からの教えなどを通して身に着いた物事に関する判断基準が備わっている。

そして失敗やもっと多くの経験を通じて、自分の判断基準には確かな確信に揺るぎはない。

仮にそれが世間の常識と離れていたとしても【自分はこう思い、それが正しい】と。

その基準をもとに後輩や部下の相談や問いかけに応じてきた。私はこう思うよと。

ただ、それが時に過信につながり、独善となる危険をはらんでいる。

思い返せば、以前にも私の意見を聞かれた先輩が“それは、秦説ですね!”と揶揄された経験もある。

それでも、私の確信には揺るぎはなかった。

しかし、今になって振り返るとそうした私の発信や行動は私自身の【主観】に基づくものに過ぎず、必ずしも【客観的】ではなかったようだ。


妻と話す中で、“あなたはそう考え行動するけど、世間の人がみなそうじゃないってことに気づいて!“と鋭い指摘を受けることが、ままある。

指摘を受け最初は【なんで?!】とむきになるが、少し冷静になり振り返るとその指摘の正しさに気づかされる。

妻の方がはるかに世間全体を俯瞰的に見ることができ、客観的に物事が見えていると。

私はいまだ幼い!そのように考えさせられる今日この頃であります。